多久谷村(読み)たくだにむら

日本歴史地名大系 「多久谷村」の解説

多久谷村
たくだにむら

[現在地名]平田市多久谷町

岡田おかだ村の東にあり、村域は島根半島脊梁部の山地から、南の平地に広がる。東西二町四〇間・南北一里余ほどで、東は多久村。村の南部を東西に杵築道(幅一間半)が走る。農業主体の村であるが、薪の余分を売り、また明治六年(一八七三)頃には油木実(主として油桐)の売上げが年間四〇〇貫文ほどもあった(同年「地理取調書」県立図書館蔵)。多久村とともに中世多久郷の遺称地で、近世には楯縫たてぬい郡に属した。正保国絵図に村名がみえ、元禄十年出雲国郷帳では高六一一石余、寛文四年(一六六四)には本田高六〇二石余・新田高三石余。「雲陽大数録」では高九五〇石。寛政四年(一七九二)の万差出帳(平田市立旧本陣記念館蔵)によると本田残高五七一石余、うち田四八九石余・三三町四反余、畑八二石余・一二町五反余、ほかに二石余(田畑六反余)の石新田があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android