塩尻宿(読み)しおじりじゆく

日本歴史地名大系 「塩尻宿」の解説

塩尻宿
しおじりじゆく

[現在地名]塩尻市大字塩尻町

塩尻町村にある中山道の宿駅中世までの宿は現塩尻町東北の古町ふるまち地籍にあったが、江戸期に至って現塩尻市大字塩尻町に移った。

永禄六年(一五六三)三月武田信玄は「塩尻之宿中」あてに次の伝馬定書(古屋家文書)を出した。

<資料は省略されています>

これは武田氏が信州塩尻地方を勢力下に収め、領国支配のための伝馬を定めたものである。

江戸幕府は慶長六年(一六〇一)から宿駅制の整備を行い、中山道は翌七年に宿駅の設定をみるが、その頃の中山道は大久保長安によって下諏訪宿(現諏訪郡下諏訪町)から三沢みさわ(現岡谷市)小野おの(現上伊那郡辰野たつの町)牛首うしくび峠を越えて木曾桜沢きそさくらざわ(現木曾郡楢川ならかわ村)に至る短距離が設定され塩尻は通過しなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報