堀野村(読み)ほりのむら

日本歴史地名大系 「堀野村」の解説

堀野村
ほりのむら

[現在地名]二戸市堀野

福岡ふくおか村の北に位置し、奥州街道が通る。当地八戸街道分岐、八戸街道の起点道標が現在も残る。「邦内郷村志」には「往還自福岡九日町北二里余」とある。高札場が設けられており、天和二年(一六八二)には切支丹禁制ならびに忠孝奨励、毒薬売買禁止などの、貞享五年(一六八八)には捨馬禁止に関する高札が立てられている(「御領分高札集」盛岡市中央公民館蔵)正保国絵図に村名がみえ、高一五二石余。天和二年の惣御代官所中高村付には蔵入高一一四石余とあり、七ヵ年平均の免一ツ九分六厘。元禄十郡郷帳による〆高は田方一三九石余・畑方二九四石余で、当村に仁左平にさつたい村が入るとある。元文四年(一七三九)の福岡通絵図(盛岡市中央公民館蔵)によれば蔵入高二一石余・給所高二七八石余。

堀野村
ほりのむら

[現在地名]朝日村堀野

三面みおもて川左岸の丘陵上にあり、北は中新保なかしんぼ村、西は石住いしずみ村に接する。「楯のうち村」ともよばれたという。元禄郷帳に石住村枝郷として村名がみえる。初め村上藩領、のち幕府領となり幕末には米沢藩預所。元和四年(一六一八)村上藩主堀直寄の家臣貝沼仁左衛門・作左衛門により開発されたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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