朝日日本歴史人物事典 「堀河親俊」の解説
堀河親俊
生年:承元1(1207)
鎌倉中期の公卿。父は権中納言顕俊,母は権中納言藤原実守の娘。初名成俊。承久の乱(1221)後に朝廷に重きをなした近衛家に仕えて累進し,文暦1(1234)年参議,延応1(1239)年中納言。2年後に辞任。政治の実権が近衛家から九条家,後嵯峨上皇に移るにつれ,活動の場を失っていった。
(本郷和人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新