城生村(読み)じようのうむら

日本歴史地名大系 「城生村」の解説

城生村
じようのうむら

[現在地名]八尾町城生

西神通にしじんづう村の南西、神通川左岸にある。城尾とも書き、城尾じようのお城があった。寛永一八年(一六四一)頃の諸寺道場締役覚書(聞名寺文書)に「城生西勝寺」とみえ、八尾聞名もんみよう寺に道場役として綿高三〇匁・代銀五匁余を納めている。正保郷帳に城尾村とみえ、高七二石余で田方はなく畑方四町八反余、新田高九六石余。元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳では高五二石余。享保六年(一七二一)の村付高改帳(島倉家文書)では高一六四石余。

城生村
じようむら

[現在地名]中新田町城生

中新田村の北に位置し、東は上狼塚かみおいぬつか村、北は菜切谷なぎりや村、西は羽場はば村に接する。村名は古代の城生柵、中世の城生館のあったことによると思われる。天正一八年(一五九〇)八月九日豊臣秀吉は会津黒川(現福島県会津若松市)へ入り、奥州仕置が行われた。「貞山公治家記録」によれば、同一八日には伊達政宗は奥州仕置の諸将を案内して「加美郡城生ニ御在陣、同郡中新田大崎左衛門督殿居城ヲ、会津少将氏郷朝臣蒲生忠三郎請取ラル」とあり、蒲生氏郷の中新田城接収を見守っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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