中新田町(読み)なかにいだまち

日本歴史地名大系 「中新田町」の解説

中新田町
なかにいだまち

面積:六〇・七一平方キロ

加美郡の北東にあり、北西から南東に流れる多田ただ川・川・鳴瀬なるせ川に沿って、細長い町域をもつ。そのため北西部は高原地帯、南東部は大崎おおさき平野西端の水田地帯となっている。北から東は玉造たまつくり岩出山いわでやま町、東は古川市、南は色麻しかま町とわずかに志田郡三本木さんぼんぎ町、西は宮崎みやざき町に接する。黒川郡大和たいわ町と岩出山町を南北に結ぶ県道と、古川市と山形県尾花沢おばなざわ市を東西に結ぶ国道三四七号が、町域南端近くで交差し、町の中心部を形成する。

中新田町
なかしんでんまち

[現在地名]小矢部市中央町ちゆうおうまち新富町しんとみまち

上新田町の東に続く東西道に沿う両側町。散町に属する。北裏は下飯田しもいいだ町・鍛冶かじ町、南裏には称名しようみよう寺・権現社などがある(元禄一五年今石動町図)。寛保二年(一七四二)には宅地三千五六四歩で、地子米一五石三斗余(一歩につき四合二勺余)。組合頭は本江屋源右衛門・岩嶋屋武右衛門・御器屋吉左衛門(今石動由来)。天明六年(一七八六)の家数五五(紺屋島家文書)。称名寺(現真宗大谷派)は有栖川房近が蓮如に帰依し、明応二年(一四九三)芹川せりかわ村に創建、慶長八年(一六〇三)寺号を付与された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報