坂津田村(読み)さかつたむら

日本歴史地名大系 「坂津田村」の解説

坂津田村
さかつたむら

[現在地名]角田市坂津田

東は亘理わたり丘陵、西は蛇行して北流する阿武隈川に限られ、北は平貫ひらぬき村、南は藤田ふじた村、東は夜討ようち峠を越えて亘理長瀞ながとろ(現亘理町)こう峠を越えて同郡小堤こづつみ(現同上)。南北に金津かなづ宿と槻木つきのき宿(現柴田郡柴田町)を結ぶ道、東西に亘理町(現亘理町)角田本郷を結ぶ道二筋が通る。夜討峠の名は戦国期に伊達氏と相馬氏が対立していた時、夜襲の経路として利用されたことにちなむという。大永五年(一五二五)一一月一一日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)に「伊具の庄東根、さかり田のかう」とみえ、わたのへ助太郎方よりの買地「平後内まへの田五段、やち田二たん、同ゆい所」が田手いはミの太方に安堵されている。天文七年(一五三八)の段銭古帳には、段銭八貫六〇〇文とある。同帳にみえる三貫一〇〇文の「たちはなのかう」は当村の小名立花たちばな(橘沢付近)に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報