地頭山城跡(読み)じとうやまじようあと

日本歴史地名大系 「地頭山城跡」の解説

地頭山城跡
じとうやまじようあと

[現在地名]米原町三吉

米原町と近江町の境をなす標高約二五〇メートルの地頭山に築かれた城で、東麓の久礼くれ門根かどね樽水たるみ一帯本拠とする堀氏が築いたとみられる。眼下東海道(近世の中山道)天野あまの川を望む当城は、鎌刃かまは城を本城とした堀氏の支城として築かれ、東麓門根の集落内にある門根城の詰城の性格を有したと考えられる。堀氏は京極氏の根本被官であるが、文明一八年(一四八六)一〇月京極秀綱が門根城の堀氏成を攻めたと「江北記」にあり、この頃堀氏成は多賀宗直方に属したようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報