土肥郷(読み)どいごう

日本歴史地名大系 「土肥郷」の解説

土肥郷
どいごう

湯河原ゆがわら町・真鶴まなづる町一帯の古名。「万葉集」巻一四に

<資料は省略されています>

の一首があり、「足柄の土肥の河内に出づる湯」が湯河原の温泉に比定されている。平安時代末には相模国の在庁官人中村氏一族の土肥実平がこの地を根拠とする有力な武士となり、源頼朝の挙兵に従って大きな働きをした。「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)八月二〇日条に、伊豆国を制圧した頼朝一行が「出伊豆国、令于相模国土肥郷給也」と記す。同書によると次いで石橋山合戦で平氏方の大庭景親らに敗れた頼朝は、山伝いに土肥の椙山(「平家物語」延慶本では、「土肥ノ鍛冶屋口入」の山)に隠れ、やがて実平らと土肥真名鶴崎から小舟に乗って脱出し、房総半島で再起に成功した。この間、平氏方の兵によって、実平の館をはじめ土肥の在家はみな焼払われた(源平盛衰記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報