土方氏(読み)ひじかたうじ

改訂新版 世界大百科事典 「土方氏」の意味・わかりやすい解説

土方氏 (ひじかたうじ)

近世大名清和源氏,宇野氏族という。祖は太郎季治でその後裔彦三郎信治は織田信長に仕えた。子雄久(かつひさ)は織田信雄(のぶかつ)に仕え,伊賀一揆鎮圧の功で信雄から諱字(きじ)をもらったという。1583年(天正11)従五位下。信雄没落後は豊臣秀吉に仕えたが,99年(慶長4)徳川家康暗殺の容疑で常陸太田追放関ヶ原の戦のとき,家康に赦免され軍功をあげた。雄久の子雄重は能登石崎を領し,3代続いたが罪あって断絶。雄重の兄雄氏は伊勢菰野(こもの)藩1万2000石を領し,子孫相承して明治に至り子爵となる。
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世界大百科事典(旧版)内の土方氏の言及

【能登国】より

…06年,替地によって土方雄久(ひじかたかつひさ)領1万石が能登に散在して置かれた。この土方氏領は850石だけを残して1681年(天和1),84年(貞享1),1703年(元禄16)に順次幕府領になり,鳥居忠英領(1689‐95),水野勝長領(1698‐1700)の時期を経て1722年(享保7)に加賀藩へ預地になり,1810年(文化7)以後は加賀藩の法制がしかれた。この間,その領域は時期により少し変更されたが,1867年(慶応3)預地を加賀藩領とし,代りに毎年1万5000両を幕府へ上納することになり,翌年には改めて幕府領,土方領ともに加賀藩領とした。…

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