国民新党(読み)コクミンシントウ

デジタル大辞泉 「国民新党」の意味・読み・例文・類語

こくみん‐しんとう〔‐シンタウ〕【国民新党】

平成17年(2005)小泉純一郎政権の郵政民営化に反対し、自由民主党離党した国会議員らが結成した保守政党旧来自民党的な利益調整・再分配を重視する。平成21年(2009)、民主党社会民主党とともに連立与党となったが、平成24年(2012)の衆議院議員選挙で大きく議席を減らし、翌25年(2013)3月解党

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知恵蔵 「国民新党」の解説

国民新党

国民新党は、小泉首相が成立をめざした郵政民営化法案に反対した自民党議員らが、衆院の解散を受けて自民党の公認が得られなかったため、2005年8月に急遽、結成した党。当初のメンバーは自民党の衆院議員だった綿貫民輔亀井静香亀井久興、同参院議員の長谷川憲正、民主党参院議員の田村秀昭の5人。代表には綿貫が就いた。総選挙では国会議員(衆院解散時は解散前の衆院議員を含む)5人以上が政党要件となるため、発足した。その後、自民党衆院議員だった津島恭一も加わったが、長谷川は同じく郵政法案反対のグループがつくった新党日本が政党要件の5人に達しなかったために移籍した。総選挙では14人が立候補したが、綿貫、亀井静香、亀井久興の前職、糸川正晃の新顔の計4人の当選にとどまった。選挙後、長谷川は国民新党に復帰した。新党日本は、国民新党と共に郵政法案反対派が05年8月に結成した党。代表は田中康夫長野県知事。衆院の小林興起、滝実、青山丘、参院の荒井広幸が参加。日本新党から長谷川憲正が移籍して、総選挙では政党要件を満たした。選挙では8人が立候補したが、当選したのは比例区の滝1人にとどまった。代表の田中は06年8月の長野県知事選で落選した。北海道では収賄罪で係争中の鈴木宗男が代表の新党大地が結成されたが、現職参院議員や前職衆院議員が含まれておらず、政党要件は満たしていなかったため公職選挙法上は「確認団体」として選挙を戦った。鈴木1人が比例区で当選を果たし、選挙区の当選者はいなかった。

(星浩 朝日新聞記者 / 2007年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国民新党」の意味・わかりやすい解説

国民新党
こくみんしんとう

日本の政党。保守政党。2005年8月17日,自由民主党から離党した綿貫民輔(2000~03衆議院議長),亀井静香(1999~2000自民党政務調査会会長)らが結成した。初代代表は綿貫,結党時の国会議員は 5人。小泉純一郎首相が強行した郵政民営化関連法案に反対して衆議院議員総選挙で公認をはずされたことなどから自民党を離党,新党を旗揚げした。2009年8月,亀井が代表に就任。同年 9月,政権交代を実現した民主党社会民主党との 3党連立政権に参加した。2012年3月,亀井代表が消費税増税法案は連立政権合意に反するとして,党として反対し,連立離脱を目指したが,8人の議員中 6人が政権にとどまることを確認したため,亀井代表ら 2人が離党した。2012年総選挙では当選者 1人となり政党要件を失い,2013年3月解党。

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百科事典マイペディア 「国民新党」の意味・わかりやすい解説

国民新党【こくみんしんとう】

日本の政党。2005年8月,小泉内閣が進める郵政民営化に反対して除名,離党した綿貫民輔を代表に亀井静香らが中心となって結成した。2010年5月には衆参あわせて10名の国会議員がいた。2009年9月,民主党・社民党と連立して,鳩山由紀夫内閣に参加,亀井静香が内閣府特命担当大臣(金融担当)に就任した。中道保守で,反新自由主義を掲げた。鳩山政権後も民主党との連立政権を維持したが,TPP交渉参加,消費税増税などの重要政策をめぐって次々と離脱者が出たこともあり,2013年3月,〈結党の目標は郵政民営化の見直しにありその目標は果たした〉として解党宣言を出し解党した。

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