四分一村(読み)しぶいちむら

日本歴史地名大系 「四分一村」の解説

四分一村
しぶいちむら

[現在地名]小浜市四分一

上野うえの村の東、松永まつなが川右岸にあり、東市場といちば村より池河内いけのこうち村へ至る道に沿う。中世には松永保に属した。もとの集落は松永川左岸の字紅梅谷こうばいだに(上野村との境)にあったといい、一説三分一さんぶいちより分村したとも伝える。地名は永正三年(一五〇六)九月一四日付の明通寺寄進札に「四分一」と現表記でみえる。

正保郷帳によれば田方二九八石余・畠方二〇石余。安永八年(一七七九)二月には太興寺たいこうじ門前もんぜん東市場といちばと四ヵ村連名で、「当村申年より戌年まで三年之間土免御請合申上相済申候、又々当亥年より丑年三年之間土免御請申上度奉存候、右願之通被仰付被下候者難有奉存候、以上」という土免(定免の一種)請合願状が出されている(川端家文書)

四分一村
しぶいちむら

[現在地名]一の宮町宮地

「国誌」に「宮地村ノ内」と注記して、「旧役犬原村高ノ内四分一ヲ分ツ故地名トスト里農云伝フ」とあり、明治五年(一八七二)頃には独立村であったが、同九年宮地みやじ村に合併した。至徳二年(一三八五)八月七日の阿蘇社領郷々注文(阿蘇家文書)に「一所しもたかわら 一けふん」とあり、このうち一町七反四丈は「御まいてん」、五町は五大夫知行、四分一は「かちひやうへたらう御おん」、一〇分一は上竹原かみたかわら(現阿蘇町)にありとみえる。この四分一の分が、応永一六年(一四〇九)九月二六日の阿蘇社領権大宮司方催促方田数坪付注文(阿蘇家文書)に「下たかわらのかう」に続いて記載される「おなしきかう四分一」、同年九月日の湯浦郷坪付山野境等注文写(同文書)に「下竹原之田地坪付之事」に続いてみえる「四分一ノ村坪付」の四分一村に系譜的につながると思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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