唯願寺(読み)ゆいがんじ

日本歴史地名大系 「唯願寺」の解説

唯願寺
ゆいがんじ

[現在地名]上石津町下山

しもにある真宗大谷派寺院。干霄山と号し、本尊阿弥陀如来。古くは天台宗で大橋道場と称し、浄金を開基とするという。その子明慶のとき親鸞と本願寺一〇世証如の絵像を受け、寺名を唯願寺と称したと伝える。その子明覚は元亀二年(一五七一)一二世教如の書状を受け、織田信長と一向宗徒が戦った長島一揆に参戦したという。当寺には天正八年(一五八〇)と推定されるトキ明覚宛(二月二三日付)、トキ明覚門徒衆中、多良郷衆中宛(六月二八日付)の教如書状が残り、それによると石山合戦に際し、父顕如が織田信長との和議を結ぼうとしたのに反対して、籠城続行の覚悟を訴えてきている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報