和泉木綿(読み)いずみもめん

事典 日本の地域ブランド・名産品 「和泉木綿」の解説

和泉木綿[染織]
いずみもめん

近畿地方大阪府地域ブランド
泉州で製織された綿織物室町時代に泉州で棉を栽培したのが始まりという。江戸時代にはこの綿を手紡・手織したものが和泉木綿として有名になった。現在では衣料・寝装・資材などに利用されている。2006(平成18)年11月、特許庁地域団体商標に登録された。商標登録番号は第5004525号。地域団体商標の権利者は、泉州織物工業協同組合・泉州織物構造改善工業組合。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報

世界大百科事典(旧版)内の和泉木綿の言及

【和泉国】より

… 収穫された綿は実綿(みわた)のまま,あるいは繰綿(くりわた)として一部は大坂の問屋や仲買に売られたが,綿作の普及につれ農家の家内手工業として紡織が盛んになった。和泉木綿と呼ばれ,広くは河内木綿の中に含まれたが,1786年(天明6)の江戸商人の見積りでは河内の10万反に対し,和泉は20万反であったという。主として堺,岸和田の問屋が扱ったが,19世紀の初めごろから大坂商人の進出が激しく,やがて大坂商業資本に吸収されていった。…

【大阪[府]】より

…久米田池,光明池で代表されるように,この地方は南河内地方とともに溜池卓越地で,江戸期から明治前期にかけて綿作地帯として知られていた。この和泉木綿を基盤として,堺の段通・カーペット製造業,染色業,泉大津の羊毛工業,泉佐野のタオル業,全域に分布する綿糸綿織物業など,繊維工業地帯が明治以後発達し,今日に及んでいる。第2次大戦直後に造成が始まった堺泉北臨海埋立地は,鉄鋼と石油化学を基幹とする大企業が進出し,大阪府経済の重化学工業化への転換に大きく寄与したが,他方では大阪湾漁業の中核をなすこの地方の水産活動に,少なからず打撃を与えた。…

【泉南[市]】より

…江戸時代には多くの村が岸和田藩領となったが,街道交通の要地である信達市場(しんだちいちば)には紀州藩主が宿泊する本陣が置かれ,また市も開かれてにぎわった。近世以来綿花が栽培され,それを原料にした和泉木綿,紋羽(もんぱ)(かつて足袋底の内側などに使われた目の粗い綿布)の産地となった。第2次大戦後,太糸紡績中心の小零細な特繊紡績業が集中し,泉州繊維産地の一部を形成している。…

※「和泉木綿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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