吾橋庄(読み)あがはしのしよう

日本歴史地名大系 「吾橋庄」の解説

吾橋庄
あがはしのしよう

本山寺家じけを中心に、吉野川の支流汗見あせみ川流域を荘域としたと考えられる紀伊国熊野社領の荘園

荘名は応安七年(一三七四)一二月一五日付信濃守八木下文(「蠧簡集木屑」所収長徳寺文書)に「吾橋庄内惣一職事」とみえる。しかしその成立は平安時代末期にさかのぼり、久安五年(一一四九)吾橋山の開発領主である頼則・盛政らが自ら発願建立した長徳ちようとく寺の寺領として四至を定め、その地を紀伊国熊野社に寄進している(弘安一一年正月五日「熊野惣文所良懸書状」、建武元年四月日「長徳寺院主宗賢書状」同文書)。この頼則・盛政は、中世本山を中心に発展した豪族八木氏の祖といわれるが(編年紀事略)、この一族が長徳寺院主職および熊野への先達職をも熊野山検校宮から補任されている(弘安一一年二月日「左衛門尉胤茂等連署状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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