向坂式部(読み)さぎさか・しきぶ

朝日日本歴史人物事典 「向坂式部」の解説

向坂式部

生年生没年不詳
戦国時代の武将。向坂は匂坂とも書く。通称は六郎左衛門,常陸介とも称した。名は不明。遠江匂坂城(静岡県磐田市)匂坂氏の一族と推定される。匂坂氏は,戦国大名今川氏の滅亡後,徳川家康に属しているので,向坂式部もそのとき家康方となったものと思われる。元亀1(1570)年の近江姉川の戦に家康に従軍し,朝倉方の勇将として知られた真柄十郎左衛門直澄を討ったことで一躍武名をあげたが,のち追放されたという。高天神城主小笠原長忠配下に匂坂姓の者が何人かいるので,天正2(1574)年に長忠が武田勝頼に降ったとき,それに同調したらしい。

(小和田哲男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「向坂式部」の解説

向坂式部 さぎさか-しきぶ

?-? 織豊時代武士
徳川家康の家臣。元亀(げんき)元年(1570)姉川の戦いで朝倉方の真柄(まがら)直澄を討つ。のち井伊直政につかえたが,追放されたという。通称は別に六郎左衛門,常陸介(ひたちのすけ)。姓は匂坂ともかく。

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