吉里吉里村(読み)きりきりむら

日本歴史地名大系 「吉里吉里村」の解説

吉里吉里村
きりきりむら

[現在地名]大槌町吉里吉里一―四丁目・吉里吉里・赤浜あかはま一―二丁目

東から南は海に面する半漁半農の村で、北から西はくじら山・熊立くまたち山・小鯨こくじら山などの山嶺を境に、船越ふなこし村・織笠おりかさ(現下閉伊郡山田町)、大槌村に接する。海沿いに浜街道が通る。慶長一五年(一六一〇)芳賀刑部少輔請取状(盛岡芳賀文書)に村名がみえ、物成は計七三駄三斗三升五合。元和二年(一六一六)の南部利直請取状(盛岡浜田文書)によると、慶長一九年大槌御蔵納米として二ツ四分一厘にあたる一〇五駄一斗三升四合を納めており、高二六一石余であったことが知られる。明暦元年(一六五五)には高二〇八石余、物成は七八駄余、うち六三駄余は米納、一四駄余は金納で、代金二一両四分五厘(芳賀文書)。元禄十郡郷帳による〆高は田方一三一石余・畑方九六石余。「邦内郷村志」では蔵分二一二石余・給分四六石余、家数一六二、馬一〇八。享和三年(一八〇三)の仮名付帳によると家数一七六、うち本村九一、枝村の波板なみいた(浪板)三六・赤浜四九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報