20世紀日本人名事典 「吉葉山 潤之輔」の解説
吉葉山 潤之輔
ヨシバヤマ ジュンノスケ
- 生年
- 大正9(1920)年4月3日
- 没年
- 昭和52(1977)年11月26日
- 出生地
- 北海道厚田郡厚田町
- 本名
- 池田 潤之輔
- 別名
- 年寄名=宮城野 潤之輔(ミヤギノ ジュンノスケ)
- 主な受賞名〔年〕
- 勲四等旭日小綬章
- 経歴
- 高島部屋に入り、昭和13年5月初土俵。幕下優勝の直後に応召し、伸び盛りの6年間を戦場で過ごしたすえ、左大腿部に貫通銃創を受けて復員。22年11月初入幕、20年代から30年代前半にかけての人気力士となる。高島部屋という小部屋のため番組編成上の不利を強いられ、常に痛む戦傷というハンデを背負いつつも、26年夏大関に昇進、29年1月場所に全勝優勝したあと横綱となる。吉葉山時代到来、とも騒がれたが、この時すでに33歳。その後、古傷が悪化し、横綱としては満足な相撲もとれぬまま、優勝1回、殊勲賞3回の記録を残し、33年引退した。以降、相撲協会理事となり、審判、巡業部長などを歴任した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報