吉田長治兵衛(読み)よしだ・ちょうじべえ

朝日日本歴史人物事典 「吉田長治兵衛」の解説

吉田長治兵衛

没年:元文4.8.23(1739.9.25)
生年:生年不詳
江戸中期,奥州磐城平藩(福島県)元文一揆頭取,義民。柴原村(いわき市)の生まれ。元文3(1738)年9月一揆勢約2万人は藩の過酷な収奪に反対し平城下へ押し寄せ,新税撤回などを要求した訴状21カ条を藩に提出した。10月藩は頭取たちの吟味を開始。長治兵衛は入牢となり,翌年8月「百姓一同願ある節万端頭取我ままなる義有之」(『奥州磐城騒動抜書』明大蔵)を理由に,中神谷村武左衛門・藤間村理右衛門らと共に鎌田河原で死罪獄門となった。生地の遍照寺境内に墓,平鎌田の五霊神社境内に義民碑がある。<参考文献>『いわき市史』2巻,『新しいいわきの歴史

(阿部俊夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田長治兵衛」の解説

吉田長治兵衛 よしだ-ちょうじべえ

?-1739 江戸時代中期の一揆(いっき)指導者
陸奥(むつ)磐城郡(いわきぐん)(福島県)柴原村の生まれ。元文3年陸奥平藩で過酷な年貢の取り立てに反対してたちあがった農民一揆(元文一揆)の頭取。増税撤回などの要求はみとめられたが,翌年捕らえられ,一揆の指導者ら8人とともに元文4年8月23日死罪となった。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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