合理主義建築(読み)ごうりしゅぎけんちく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「合理主義建築」の意味・わかりやすい解説

合理主義建築
ごうりしゅぎけんちく

デカルト的主知主義の立場から生まれた合理主義思想基盤とし、近代科学ならびに工業技術、さらに近代資本主義を背景として発展した近代建築をいう。

 ヨーロッパでは、19世紀なかばから盛んになった鉄、ガラス、コンクリートなど新材料を積極的に取り入れようとする建築の即物的な考え方と、オットー・ワーグナーがその著『近代建築』(1895)で主張する理論や、「芸術を支配するものは必要のみ」ということばで表される必要様式つまり様式合理化への思想とがあり、また一方ではアール・ヌーボー、ゼツェッション運動などのように、過去の様式から離れようとする動きがあった。これらの思潮が、1910年代に、急激に膨張した工業力を背景にして合流し、合理主義建築の名にふさわしい建築作品を続々と生み出した。ペーターベーレンスのAEG・タービン工場(1909)、ハノーバー車両工場(1917)、グロピウスのファグス製靴工場(1911)などがある。アメリカでは、ルイス・ヘンリー・サリバンを中心とするシカゴ派の19世紀末における活躍があり、外面的な形態よりも商業上や構造上の要求を充足するオフィスビルや工場建築群が、情況に対応し時代の精神を反映して建造された。

 日本では大正期前半にこの傾向がみられ、明治末期から移入され始めた鉄骨鉄筋コンクリート造の普及と、それを促した資本主義社会体制の進行とに裏づけられ、佐野利器(としかた)、内藤多仲(たちゅう)、内田祥三らによる技術的合理主義が先行した。

 昭和初期のル・コルビュジエやグロピウスらの作品の影響は大正合理主義とは直接つながったわけではなく、唐突に移入された西欧の合理主義建築が新鮮な造形表現として前川国男らの心をとらえた。若い世代は性急にこれをてこに日本の非近代を克服しようとしたが、自分が日本の非近代的現実にではなく、西欧的近代のうえにたって模倣していることには気づかなかった。1931年(昭和6)末に至って吉田鉄郎設計の東京中央郵便局が竣工(しゅんこう)したのが合理主義建築の先駆である。

近江 栄]

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