古海河原(読み)ふるみがわら

日本歴史地名大系 「古海河原」の解説

古海河原
ふるみがわら

千代川東岸の河原で、江戸時代の古市ふるいち村とその北の行徳ぎようとく村の領域にあたる。東背後に松を植えた堤、通称松原まつばら堤がある。古市村の領分が広く、古くは古市河原と称され、江戸時代中期以後、千代川西対岸の高草たかくさ郡古海村への渡場があったことから古海河原の呼称が定着したとされる(「鳥府志」など)。河原の南側に承応元年(一六五二)東照宮(現樗谿神社)の神幸のための御旅所、北側に寛文一二年(一六七二)藩主一族の休憩所として古海御茶屋が設けられた(因府年表)。寛政一一年(一七九九)御旅所の近くに家中稽古用の射場(在方御定)、文政七年(一八二四)には御旅所の南に騎射場が設置された(在方諸事控)。安政三年(一八五六)には調練場(のち練兵所)も設けられた(藩史)。御旅所内には馬場(古海の馬場)があり、家中の乗馬、騎射の修業場となっていた。四月一日の松上まつがみ大明神の祭日には、家中の少年たちが数百人この馬場に身なりを整え騎馬姿で集まったため、多くの見物客で賑わった(鳥府志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報