口林村(読み)くちばやしむら

日本歴史地名大系 「口林村」の解説

口林村
くちばやしむら

[現在地名]里庄町里見さとみ

現町域の北部を占め、北は小坂西こさかにし村、東は鴨方かもがた村、南は六条院西ろくじよういんにし(以上現鴨方町)新庄しんじよう村。東方のの池付近に枝村池口いけぐちがある。鴨方往来(浜街道)が通る。「和名抄」浅口郡拝師はやし郷に属したとされ、関政方の著した「芦蟹日記」に「口林という所にてしばしやすらふ。これいにしへの林郷なるべし」とある。「経俊卿記」文応元年(一二六〇)九月二〇日条に記す大嘗会条々に、浄金剛院領分として大嘗会諸役を勤めてきた庄園に口林がある。文和三年(一三五四)一二月九日の後光厳天皇綸旨(泉涌寺文書)では、同庄は京都泉涌せんにゆう寺領として安堵されている。応永元年(一三九四)仮託の吉備津宮惣解文写(吉備津神社文書)によれば、口林郷から「御節料魚百喉」を春日頼持によって奉納され、吉備津神社の流鏑馬料足納帳によると、寛正六年(一四六五)分として三貫七〇〇文(ただし一貫二〇〇文は地下得分)が納められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報