友田村(読み)ともたむら

日本歴史地名大系 「友田村」の解説

友田村
ともたむら

[現在地名]佐伯町友田

東のとうげ村と西の河津原かわづはら村に挟まれ、四方を山に囲まれる。盆地状の平地に集落が展開。村内を石見津和野路が通り、玖島くじま(峠川)が流れる。中世は友田郷の中心地であったと思われる。

元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では高一千二八九石余。その後、永原ながはら村・河津原村が分村した。「国郡志下調書出帳」は「慶長年間之頃迄ハ友田・河津原・永原一村ニて友田村と呼候処、慶長六丑年御検地之節三ケ村ニ相分リ、当村本村と御座候」と記すが、前記の元和五年知行帳ではまだ分村していない。正徳二年(一七一二)の「所務役人頭庄屋郡邑受方記」では友田村五八九石余、永原村三〇三石余、河津原村四〇〇石で、合計一千二九二石余となり、元和五年の友田村の石高とほぼ一致するから、分村は同年以後、正徳二年以前と考えられる。ちなみに「佐伯町郷土史年表」(佐伯町教育委員会編)は分村の時期を寛文四年(一六六四)としている。

友田村
ともだむら

[現在地名]日田市友田 北友田きたともだ南友田町みなみともだまち

花月かげつ川と三隈みくま川との合流域に立地する。地内の今泉いまいずみ徳瀬とくぜは中世以来の地名とする説があり、うち徳瀬は日田庄内に成立した得善名の遺称地とされる。また今泉も「宇佐大鏡」にみえる宇佐宮の国々散在常見名田である日田郡五ヵ所の一、今泉(別符)の遺称地という。内田うちだに康永三年(一三四四)銘の大梵字を刻む岸壁、上友田には文明三年(一四七一)銘の宝篋印塔、三郎丸さぶろうまるの洞窟に明応七年(一四九八)銘の五輪塔がある。「豊後国志」によれば、天文一五年(一五四六)日田郡八奉行の瀬戸口永益は高雄たかお(岳林寺裏山か)、同新原兵部少輔は三郎丸城に居城している。

友田村
ともだむら

[現在地名]菊川町友田

吉沢よしさわ村の北、菊川右岸に位置する。徳川氏による天正一七年(一五八九)三月検地、翌一八年八月作成の検地帳があり(「城東郡友田村田畠野帳写」鈴木半六氏旧蔵文書)、反別は田九町三反余・畠六町二反余・屋敷地三町三反余。屋敷数は三〇(野屋敷・屋敷・居屋敷の計)で、ほとんどが五〇文から二〇〇文の棟別銭を課せられている。田畠の所在地として書上げられている地名は「六反田」、「とうの下」(堂ノ下)、「やひろ前」(谷広前)、「かまくら(鎌倉)、「へひ田」(蛇田)、「西之みね」(西峯)など現在の小字と一致するものが多く、「ちかつの神領」とは現存する知勝ちかつ神社の社領であろう。

友田村
ともだむら

[現在地名]村大字友田

来迎寺らいこうじ村の北にある。永仁二年(一二九四)の大仏灯油料田記録には「鞆田 本地子一石」とみえる。「大乗院雑事記」寛正二年(一四六一)四月三日条に「大野寺至テ、先陣ニ鞆田参了 申剋者室生寺長老法海上人出合了」、「多聞院日記」天正五年(一五七七)六月二三日条には「退出了、室ノタウケ迄福成院馬来了、入サマニモ鞆田マデ馬来、室生マテ乗了、及晩大雨下、珍重」と記され、友田は、奈良鹿野園ろくやおんから東山中ひがしさんちゆうに入り室生・長谷寺に至る交通の要衝に立地する。

慶長郷帳に「供田村」と記し、村高は四三〇・八二石。

友田村
ともだむら

[現在地名]青梅市友田町

長淵ながぶち村の東、多摩川右岸に位置する。対岸の河辺かべ村へは友田渡がある。南部を大荷田おおにた川が東流し、さらに南の満地まんじ峠を越えると菅生すがお(現あきる野市)に通じる。御嶽みたけ神社蔵の寛正四年(一四六三)一二月の鰐口銘に「杣保長淵郷共田金御嵩」とある。地内に四一基の板碑がある。田園簿に村名がみえ、田一二石余・畑一一〇石余で幕府領、ほかに山銭永二〇〇文。元禄郷帳では高一三四石余。享保六年(一七二一)の山之根村高改帳では幕府領一九八石余。「風土記稿」では三卿の田安領、民家九五、小名は方砂かたすな布駒ぬのこま四ッ谷よつや芝原しばはら・豊坂・湯本ゆもと・後庭場など。

友田村
ともだむら

[現在地名]岱明町三崎みさき

南部を友田川が西流し、北はじよう村、南はしも村、西は林田はやしだ村と接する。慶長一一年(一六〇六)の検地帳表紙に「大野内友田村」とある。元禄国絵図には「上村之内友田村」とあり、上村からの分村。近世は坂下手永に属する。「国誌」に「陣村下林村等ノ小村アリ」と記す。宝暦一〇年(一七六〇)頃の郡方記録写(県立玉名高校蔵)によると荒瀬番蔵・財津角太夫・高瀬新平らが給人としてみえる。

友田村
ともだむら

[現在地名]牛津町大字牛津字友田

牛津本町西方より南に延びた集落。正保絵図に村名がみえる。小城郡平吉ひらよし郷の内にあり、嘉永六年(一八五三)写の大小配分石高帳では、地米(年貢)二五四石二斗四升八合とある。

和名抄」にある「伴部」とは、牛津町一帯を示す地名といわれ、その名称のなごりが当村であるといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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