南那須町(読み)みなみなすまち

日本歴史地名大系 「南那須町」の解説

南那須町
みなみなすまち

面積:八〇・三三平方キロ

郡の南部に位置し東は烏山からすやま町、北は小川おがわ町・塩谷郡喜連川きつれがわ町、西は同郡氏家うじいえ町・高根沢たかねざわ町、南は芳賀はが市貝いちかい町に接する。塩那えんな丘陵南端の低丘陵地にあたり、中央部を那珂川支流あら川が大きく蛇行しながら南東流する。北部は同じく那珂川支流の川、および同川支流いわ川が南東流し、南西部は小貝こかい川水系に属するおお川が南流する。北端を国道二九三号が通る。三箇さんが南大和久みなみおおわぐ大里おおざと曲田まがつた地区など荒川流域を中心に古墳時代終末期の横穴群が広く分布し、横穴遺跡数は県下屈指である。西部の江川流域にあたる熊田くまだは古代那須郡熊田くまた(和名抄)の遺称地とされ、全倉またくら郷の所在を現町域の中央部に比定する説もある。中世は那須氏一族の勢力下に置かれたと思われ、文治年間(一一八五―九〇)那須資隆(与一の父)の子光隆(光高)森田もりた築城、森田氏を号したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報