南方古墳群(読み)みなみかたこふんぐん

日本歴史地名大系 「南方古墳群」の解説

南方古墳群
みなみかたこふんぐん

[現在地名]延岡市天下町・吉野町・舞野町・野地町・野田町・大貫

延岡市西部の広域な低丘陵地帯に分布する。当古墳群は昭和一八年(一九四三)旧南方村内に所在する古墳群として南方古墳群の名称で国の史跡に一括指定された。前方後円墳六基・円墳三五基(ほかに未指定三基)・横穴墓二基(ほかに未指定一基)から構成されている。旧行政区分の名称が付けられているため、群単位として示すには不合理な状態となっている。現在は分布範囲の広大さから天下あもり地区、吉野よしの地区、舞野まいの地区、野地のじ野田のた地区、大貫おおぬき地区の五支群に分けられる。当古墳群の調査の歴史は古く、江戸時代後期に延岡藩主内藤政韶による浄土寺じようどじ山の古墳(南方二四号墳か)の調査に始まるとされている。大正―昭和初期には有馬七蔵らによって天下町今井野いまいの(南方一一号墳・一二号墳・一三号墳)周辺の表面採集が行われており、石器勾玉・金環・須恵器など多数の資料が収集され、当時は有馬コレクションとして広く知られていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「南方古墳群」の解説

みなみかたこふんぐん【南方古墳群】


宮崎県延岡市天下(あもり)町・吉野町・大貫町・舞野町・野地町ほかにある古墳群。延岡市の西方に広がる五ヶ瀬川下流域に開けた低丘陵に分布し、分布位置によって天下、大貫、舞野、吉野、野地、野田の支群に分類される。粘土槨(ねんどかく)、舟形石棺横穴式石室など多様な埋葬施設をもつ5世紀前半から6世紀の古墳群で、1943年(昭和18)に国の史跡に指定された。指定当初、前方後円墳5基を含む42基の古墳が存在したが、現在では、前方後円墳5基、円墳32基、横穴1基の合計38基。天下支群の第10号墳は、この古墳群中最大の全長78m、後円部径約52mの柄鏡(えかがみ)式前方後円墳。内部主体は木棺を被覆した粘土槨で、勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、竹櫛、刀、剣などが副葬されていた。この南に向き合う丘陵上には、全長71m、後円部径35mの柄鏡式前方後円墳の第1号墳があるが、天下神社があるため未調査で、社殿裏には横穴式石室をもつ円墳の第2号墳が露出している。JR日豊本線延岡駅から車で約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の南方古墳群の言及

【延岡[市]】より

…JR延岡駅近くに内藤氏の居城跡の城山公園,西部に祖母傾(そぼかたむき)国定公園に含まれる行縢(むかばき)ノ滝がある。また南方(みなみかた)古墳群は国指定史跡。五ヶ瀬川ではアユのやな漁が名物。…

※「南方古墳群」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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