南平野町(読み)みなみひらのまち

日本歴史地名大系 「南平野町」の解説

南平野町
みなみひらのまち

[現在地名]天王寺区上汐うえしお三―六丁目・上本うえほん町六―九丁目・四天王寺してんのうじ一―二丁目

四天王寺の真北に位置し、東・西・南は天王寺村。豊臣期の大坂町建設時に平野ひらの(現平野区)からの移住によって成立。南端泥堂でいどう(出遠)町の名は平野郷にもある。町内よこ町には平野郷の末吉吉康の屋敷があったが慶長末頃京都に移転した(「長井長重日録」東京大学史料編纂所蔵)。当地は年貢地の村であるが、北平野町とともに町名を名乗った(南区の→北平野町

寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳に南平野村とみえ、高一六一石余で幕府領。宝暦二年(一七五二)の天王寺管内地図には「管地の田米二百二十石」とある。元禄郷帳に幕府領とあるが、寛政二年(一七九〇)高槻藩預地となり(寛政六年「高槻永井氏預り所村々高付帳」中村家文書)、文化七年(一八一〇)再び代官支配に戻り(同年「大坂・高槻触状留帳」池上家文書)幕末も幕府領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報