南境貝塚(読み)みなみざかいかいづか

日本歴史地名大系 「南境貝塚」の解説

南境貝塚
みなみざかいかいづか

[現在地名]石巻市南境 妙見、桃生郡河北町北境 久保

旧北上川河口より約一二キロ、旧北上川の西に標高一七三・六メートルのトヤケもり山をもつ丘陵が北上川と並行して南北に横たわり、東に北上山系の南西端、標高三四七・五メートルの籠峰かごぼう山を後背地にもち、それから延びる緩やかな丘陵が連なり、貝塚はその鞍部の南北両斜面にある。古くは遠藤・毛利両氏らの調査があり、資料が収集されている。当貝塚出土土器の一部に関東地方堀之内式併行の縄文後期初頭の型式として、南境式の編年型式名が設定されている。昭和四一年(一九六六)北上川改修工事による土取場、それに開田計画のため、同年から同四三年まで五次にわたる発掘調査がなされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報