千束町(読み)ちづかまち

日本歴史地名大系 「千束町」の解説

千束町
ちづかまち

[現在地名]豊前市千束

今市いまいち村の南東野田のだ村の東に位置する。北は吉木よしき村、東は塔田とうだ村。中央を中津街道(宇佐勅使街道・上往還)が通る。明治二年(一八六九)小倉新田藩(寛文一一年本藩小倉藩領より藩主の弟小笠原真方が一万石を分封され成立)によって築かれた千束藩(陣屋・旭城)が置かれて形成された城下町。小倉新田藩主は代々小倉城郭内の篠崎しのざき邸に住し、篠崎侯と称されていたが、慶応二年(一八六六)八月長州藩との戦いで小倉城を自焼した際、邸はともに焼亡。藩主小笠原貞正は田川郡香春かわら(現香春町)において小倉藩(香春藩)の藩政を後見したあと、所領の安雲あくも(現新吉富村)光林こうりん寺に仮寓し、新たに所領内の今市・野田・塔田・吉木の四ヵ村の村境に広がる原野千塚ちづか原から塔田原にかけてを選定して新藩庁建設を開始した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報