デジタル大辞泉
「千句」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
せん‐く【千句】
[1] 〘名〙
① 千の語句。また、多くのことば。
② 連歌や俳諧などの百韻十巻を
一座で詠作したもの。百韻とはいくらか違った配慮がある。連歌では「十百韻
(とっぴゃくいん)」と同義に用いられる場合もあるが、俳諧では区別して用いられる。
※
連理秘抄(1349)「十方点・千句などにて人の
勝劣をば知るべし。努々
(ゆめゆめ)一両座にてはその名を定むべからず」
[2]
狂言。独
(ひとり)狂言。大蔵流八右衛門派番外曲。ある男が
北野の千句合わせの
見物をし、また
川原で始まった石合戦を見物に行き、自分も石を打つ。
[
補注](1)(一)②については千句全般にわたっての規制があるのに対して、「十百韻」の場合は、単に百韻を十巻重ねたものをいう。
(2)二条良基「
筑波問答」(
一三五七‐七二)には「後鳥羽院建保の比より、白黒又色々の
賦物の
独連歌を、定家・家隆卿などに召され侍りしより、百韻などにも侍るにや」とあって、(一)②もこのころから試みられたと考えられる。
(3)「
菟玖波集」の詞書には、正和元年(
一三一二)三月の千句などの例があり、千句十巻すなわち百韻百巻の「万句」についても、元応二年(
一三二〇)春の例がある。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の千句の言及
【百韻】より
…連歌ははじめ2句の唱和からしだいに連続する句数が増えていったが,1200年前後に100句の形式が成立したらしい(現存資料では《明月記》正治2年(1200)9月20日の記事がもっとも古い)。13世紀以後,連歌の基本的形式となり,これを10かさねて千句,千句を10かさねて万句という型式も生まれた。江戸初期の貞門,談林時代の俳諧は百韻の形式によって連句を制作したが,蕉門が確立するに従って〈[歌仙]〉形式に移行するに至った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」