北長柄村(読み)きたながらむら

日本歴史地名大系 「北長柄村」の解説

北長柄村
きたながらむら

[現在地名]大淀区長柄ながらひがし二―三丁目・なか二―三丁目・西にし一―二丁目〉・天神橋てんじんばし七―八丁目・本庄東ほんじようひがし二―三丁目

淀川中津川の分岐点、俗にいう三ッ頭みつがしら南側に位置し、東は淀川を挟んで東成ひがしなり友淵ともぶち(現都島区)、北は中津川を境に西成にしなり薬師堂やくしどう(現東淀川区)、中央部を亀山かめやま街道が南北に通り、長柄渡で中津川を渡る。中世中津庄に含まれたと考えられる。同庄は安貞二年(一二二八)鳥羽天皇の生母七条院が、後鳥羽天皇後宮修明門院に譲った庄園三五ヵ所の一として現れる(同年八月五日付「七条院処分目録案」東寺百合文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報