北野中新田(読み)きたのなかしんでん

日本歴史地名大系 「北野中新田」の解説

北野中新田
きたのなかしんでん

[現在地名]小平市花小金井はなこがねい一―六丁目・花小金井南町はなこがねいみなみちよう三丁目・天神町てんじんちよう一―二丁目・大沼町おおぬまちよう一丁目・鈴木町すずきちよう一丁目・御幸町みゆきちよう上水南町じようすいみなみちよう一―四丁目

鈴木新田の北東廻り田めぐりた新田の南の玉川上水南岸に位置する。武蔵野新田の一。南野中新田(現国分寺市)と合せて野中新田と称された(天保郷帳など)野中新田与右衛門のなかしんでんよえもん(現花小金井一―五丁目・花小金井南町三丁目・天神町二丁目・大沼町一丁目)野中新田善左衛門のなかしんでんぜんざえもん(現上水南町一―四丁目・鈴木町一丁目・天神町一丁目・花小金井一丁目・同六丁目・御幸町)の二ヵ村に分れている。

享保七年(一七二二)一〇月上谷保かみやぼ(現国立市)の藤八ら五名は連名柴崎しばざき(現立川市)から上谷保村の北裏を通り田無たなし(現西東京市)西原までの東西六〇町・南北三〇町に及ぶ広大な場所の新田開発を願出た(「武蔵野新田諸証文控」野中家文書)。この開発は同年の仲間証文(円成院文書)によると、実際には上谷保村百姓七人と牛込榎うしごめえのき(現新宿区)および関口せきぐち(現文京区)の町人四人の開発人仲間一一人によって計画されたものである。同九年五月に上谷保村願場として五一三町の土地が割渡されると、同村円成えんじよう院を含めて一二分され、近隣の村々や入村者に売渡された(前掲諸証文控)。四人に割渡された土地のうち一五七町余は同一〇―一一年に砂川すながわ(現立川市)中藤なかとう(現武蔵村山市)大岱おんた(現東村山市)柳窪やなぎくぼ(現東久留米市)に売渡された。だが藤八は同一〇年の役米代金を使い込み、翌一一年に割渡されていた土地は廻り田村(現東村山市)の太郎兵衛に、家屋敷は残らず源右衛門に売渡した(「野中新田与右衛門組諸家文書目録」解題)鍬下年季の過ぎた享保一一年六月には村名と村役人が決められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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