北会津郡(読み)きたあいづぐん

日本歴史地名大系 「北会津郡」の解説

北会津郡
きたあいづぐん

面積:二八・一八平方キロ
北会津きたあいづ

明治一二年(一八七九)の郡区町村編制法施行により、それまでの会津郡が南北に分けられ、北会津郡が成立。その後同三二年若松町が市制施行して若松市となって独立。昭和三〇年(一九五五)の会津若松市への改称と大合併により、ほぼ現在の北会津村のみが北会津郡として残り、現在は一郡一村となる。そのため近代の行政区画の変遷を除き、この項目では現郡域の歴史的変遷を記す。

現郡域は会津盆地中南部にあり、旧北会津郡のうち阿賀川(大川)以西の地である。阿賀川やその旧流路であるみや(鶴沼川)が作り出した扇状地上にあるため、地味は豊かであるが、洪水を受けやすい地域である。

〔原始・古代〕

一般に会津盆地では盆地周辺に先史時代の遺跡が多く、盆地平坦部にはほとんどないが、当郡では扇状地の微高地にかなり多くの遺跡がある。弥生時代中期の今和泉いまいずみ遺跡、同後期の田村山の東小屋たむらやまのひがしこや遺跡などがある。また田村山古墳からは銅鏡・管玉・直刀などが出土し、真渡まわたでは平安時代末期の瓶が出土した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報