勝久寺(読み)しようきゆうじ

日本歴史地名大系 「勝久寺」の解説

勝久寺
しようきゆうじ

[現在地名]摂津市千里丘東三丁目

浄土真宗本願寺派で山号無量山、本尊阿弥陀如来。寺蔵の勝久寺来由記によれば、宝徳二年(一四五〇)教願が本願寺存如の直弟子となり創立。蓮如も文明年中(一四六九―八七)摂津布教の際立寄ったと伝え、蓮如が下付したという六字名号や、年未詳四月一〇日付の蓮如消息が残る。木仏は慶長一五年(一六一〇)准如の下付(木仏之留)。寺伝によると天正八年(一五八〇)顕如石山いしやま本願寺(跡地は現東区)退去に伴い、合戦に加わっていた当寺の住持門徒らも帰村、寺で法義・談合を行っていた五月二八日、織田信長軍の急襲により堂舎が焼払われ、門徒が多数殺害されたという。

勝久寺
しようきゆうじ

[現在地名]津市一身田上津部田

一身田上津部田いしんでんこうづべた丘陵の裾にあり、天台真盛宗、日照山と号し、本尊は阿弥陀如来。元文五年(一七四〇)の当寺縁起には、もと日照山光耀こうよう寺と号したが、応永九年(一四〇二)この地の豪族佐脇勝久が光耀寺の僧に帰依して一伽藍を創建し、林松山勝久寺と改称したとある。しかし沢方汀記(宝生院経蔵図書目録)に「奥書曰、観応弐年八月廿一日、於勢州菴芸郡勝久寺北坊中、以報恩寺長老御本令書写了」とあって、勝久寺の寺号がさらに古くさかのぼることを示している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android