加治木浦(読み)かじきうら

日本歴史地名大系 「加治木浦」の解説

加治木浦
かじきうら

[現在地名]加治木町港町

網掛あみかけ河口段土たんど村にあった中世以来の要港。明代の「日本一鑑」にみえる「喝食」は加治木に比定される。天正年間(一五七三―九二)から寛永一三年(一六三六)六月四日まで鋳造された加治木銭の流通は、加治木浦の交易の広がりを示している。「三国名勝図会」によると、「加治木港」は「凡隅州菱刈郡・桑原郡、日州諸県郡・真幸院地方等の人民、鹿児島に往来するには、必ず当邑に出て、舟路を取る」と記され、重要な港とされた。網掛川の河口の海上に立つおきの三穂木・なかの三穂木・がたの三穂木の澪標は、摂州・雲州と並ぶものであった(同書)。加治木浦の発展は加治木島津氏の下で繁栄した加治木町と一体をなすもので、網掛橋の東側にあった西にし町には御船手屋敷一反二畝があった(「加治木古今雑撰」加治木町立郷土館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報