加沢村(読み)かざわむら

日本歴史地名大系 「加沢村」の解説

加沢村
かざわむら

[現在地名]東部町大字加沢

東は大石おおいし村、西は田中村、南は千曲川を隔てて羽毛山はけやま村・島川原しまかはら(いずれも現北佐久郡北御牧村)、北は金井かない村に接する北国脇往還沿いの村。

永仁三年(一二九五)鎌倉幕府が望月重直にあてた安堵状(臼田文書)に「信濃国□□(海野カ) 条賀沢村内、田陸段在家壱宇」とあるのが初見であり、延慶二年(一三〇九)望月重直は娘姫夜叉に「 さわの村内す貴二郎の田六段・在家壱宇事」と、田と在家の譲状を与えた。天文一〇年(一五四一)武田・諏訪・村上氏らの連合軍による海野攻めの後、天文二二年武田氏領、天正一〇年(一五八二)真田氏領となる。

慶長五年(一六〇〇)真田信之の領になり、上田領として廃藩置県に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報