加悦町(読み)かやちよう

日本歴史地名大系 「加悦町」の解説

加悦町
かやちよう

面積:五九・三九平方キロ

与謝郡南部、加悦谷盆地の南半分を占める。東は標高八三二・五メートルの大江おおえ(千丈ヶ嶽)を含む大江山山系を隔てて宮津市と接し、南は標高七三六・二メートルの赤石あかいしヶ岳を含む大江山山系で加佐郡大江町・福知山市と境し、西は標高七二七・八メートルの江笠えがさ山を含む江笠山山系を隔てて兵庫県出石いずし但東たんとう町に接する。北は加悦谷の野田川のだがわ町である。

町の中央を南北に国道一七六号が走り、南は与謝峠で福知山市に通じる。またたき川沿い、加悦奥かやおく川沿いに但馬(兵庫県)への道が二筋あり、滝峠・加悦奥峠が丹後・但馬境となっている。

加悦町
かやまち

[現在地名]加悦町かやちよう字加悦

後野うしろの村の北に位置し、町内を加悦街道が走る。町内で加悦奥かやおく川が野田のだ川に合流する。中世加悦庄の地。

慶長検地郷村帳に高七〇九・五八石「加悦庄」とみえる。天和元年宮津領村高帳には高九〇一・七七六石「加悦町」とあり、延宝九年(一六八一)の延高で約二割七分の増となったことが知れる。宮津藩領。加悦谷において早くより町場として開けた所で小字名にも中市なかいちが残る。

幕末期の戸口は一五二軒、七七三人(与謝郡誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報