加古新村(読み)かこしんむら

日本歴史地名大系 「加古新村」の解説

加古新村
かこしんむら

[現在地名]稲美町加古

北山きたやま村の北、くもり川の水源の北岸と草谷くさだに川の南岸の間にある高位段丘上に位置する。姫路藩随一の新田村。開発は当村北方低地の中西条なかさいじよう(現加古川市)庄屋加古沢兵衛(才兵衛)らが万治元年(一六五八)に姫路藩に願出(「墾辟之記」沼田家文書)、同四年新田場絵図を提出し正式に始まった。東は野寺のでら村、南は長府ちようふ池と北山村の北の辻きたのつじ、西は見谷けんだに、北は上西条村・しも(現加古川市)上大沢かみおおざわを境とする地域であった(「加古新村開発につき申渡」加古土地改良区蔵)。同年姫路藩の援助により溜池五ヵ所が築造され、風呂谷ふろだに池余水を利用する流溝も掘られた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報