前林村(読み)まえばやしむら

日本歴史地名大系 「前林村」の解説

前林村
まえばやしむら

[現在地名]総和町前林

水海みずうみ村西方に所在。東は釈迦しやか沼、西は大山おおやま(ともに現在は水田)。北は台地で平地林を有し、南は利根川で前林河岸があった。大山沼を望む台地のいそ遺跡からは縄文土器片を出土釈迦沼辺の羽黒はぐろ遺跡は縄文・古墳時代。字笹山ささやまの笹山A遺跡は弥生・古墳時代。日下部くさかべ遺跡・大道北だいどうきた遺跡は古墳時代。笹山B遺跡は製鉄遺跡中世には下河辺しもこうべ庄に含まれ、文永一二年(一二七五)の金沢実時譲状(市島謙吉文書)によれば「下総国下河辺庄前林・河妻両郷并平野村」は実時の妻と思われる藤原氏(尼慈性)一期譲渡され、嘉元二年(一三〇四)のものと思われる称名寺寺用配分置文(金沢文庫文書)には「谷殿御分大倉郷 石村郷 下川辺庄前林郷 河妻郷 米五石四斗七升 銭九貫九百四十文」とあり、河妻かわつま(現五霞村)などとともに金沢(北条)氏の支配を受けていた。

前林村
まえばやしむら

[現在地名]大栄町前林

一坪田ひとつぼた村の南に位置する。中世は大須賀おおすか保に属した。応永三三年(一四二六)四月一〇日の大須賀朝信証状(大慈恩寺文書)大慈恩だいじおん寺当知行領の一所として「前林村内本願寄進」とみえ、その面積は一町であった(同年八月「大慈恩寺寺領注進状案」同文書)。元亀四年(一五七三)三月四日の大須賀政朝証状(同文書)にも「前林村内本願寄進」とみえる。年未詳一一月八日の円阿書状(金沢文庫文書)によると、円阿は雲富山(大慈恩寺)から東へ七里の前林村に居住している旨を金沢称名寺侍者中に申伝えている。

元禄郷帳では高六一六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報