則武村(読み)のりたけむら

日本歴史地名大系 「則武村」の解説

則武村
のりたけむら

[現在地名]岐阜市則武・日光町則武西につこうちようのりたけにし一―二丁目

正木まさき村・鷺山さぎやま村の南に位置し、南は厚見あつみ郡。則武輪中を形成。同輪中は美濃平野の輪中のうち最北にあり、長良古川と長良古々川に挟まれた、いわば川中島にあたる。南境は長良古川で、鷺山村の南東部で同川から分派した長良古々川は北西流して伊自良いじら川に合流した。輪中内には則武村の本郷が西にあり、南に新屋敷しんやしき、東先端に則武新田、北に南正木が位置する。標高約一三メートル。河原は秣場であり、小柳運上も行われた。輪中には堤がめぐらされていたが、平水時には歩行渡りが可能であった。しかし長良川が洪水のときは水害は大きかった(文化一二年村明細帳)。中世、一帯は則武郷と称された。康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」に則武郷とみえ、伊勢因幡入道が五三二文を負担している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報