六郎貝津村(読み)ろくろうがいつむら

日本歴史地名大系 「六郎貝津村」の解説

六郎貝津村
ろくろうがいつむら

[現在地名]鳳来町睦平むつだいら

南は下吉田しもよしだ村、北は井代いしろ村、東は細川ほそかわ村、西は大野おおの村・下平しもだいら村に接する。天正一八年(一五九〇)吉田藩領、慶長五年(一六〇〇)徳川氏領、同八年幕府領となる。

村域内標高四六一メートルのなまり山は鉛を採掘するため、かな山ともいい、大野村の飛地であった。元禄一三年(一七〇〇)九月二六日付の、大野村・山吉田村山論裁定(大野区事務所蔵)によると、鉛山が下吉田村と大野村との境にあるために、境界紛争が起こり、公儀へ訴訟した結果、その裁定は、大野村が鉛山運上金を納めていたので大野村の勝訴になった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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