公郷村(読み)くごうむら

日本歴史地名大系 「公郷村」の解説

公郷村
くごうむら

[現在地名]横須賀市公郷町一―六丁目・三春みはる町一―六丁目・根岸ねぎし町四―五丁目・安浦やすうら町一―三丁目・米が浜通よねがはまどおり二丁目・猿島さるしま田戸台たどだい富士見ふじみ町一―三丁目・衣笠栄きぬがささかえ町一―二丁目・日の出ひので町二―三丁目

佐野さの村に続く東の海岸沿いに開ける。古東海道が村内を通る。「和名抄」に御浦みうら田津たづ郷があり、「風土記稿」は「今村内の小名に其遺名あれば」と、かつての田津郷のうちであったとする。また宗元そうげん寺跡からは奈良―平安期の瓦が出土している。

公郷の名は永禄五年(一五六二)正月二四日の遠山新四郎奉書写(県史三)にあり、「三浦郡公郷寺方給田」が守護不入地として古敷谷弾正忠に給付された。同一〇年三月二五日および天正一五年(一五八七)四月一三日の北条氏規朱印状(同書)によれば、この頃田津の舟持は鯛網の一種である葛網を行い、北条氏規の支配下にあったと思われる。

公郷村
くごうむら

[現在地名]大野町公郷、池田町杉野すぎの

大衣斐おおえび村の西方、揖斐川右岸に立地。枝郷に北東の宝来ほうらい村、南東の八木やぎ村があり、また村内には島部しまべ村・杉野村がある。杉野村は古くは赤池あかいけ村と称したという(明治大学刑事博物館本元禄郷帳)。「新撰美濃志」によれば、村域が広く属邑も多く、九里あったので九郷と称し、転じて公郷になったと記す。しかし公郷は中世より国衙領としてみえる地名で、庄園に対して公領の郷という意味と考えられる。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録(京都大学蔵古文書集)に「公郷西郡宗種・公明朝臣」とみえる。

公郷村
くごうむら

[現在地名]加茂町公郷

南東は下津川しもつがわ村、西は成安なりやす村、北は知和ちわ村・小淵おぶち村・桑原くわばら村に接し、加茂川の左岸に位置し、低丘陵地や河岸段丘上に耕地が広がる。正保郷帳に高五六四石余、うち田方四九一石余・畑方七二石余とある。「東作誌」によれば、寛文一〇年(一六七〇)に上分と下分に分村した。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳では改出高一〇八石余、開高二六石余。同年の美作国郷村帳によれば、公郷上村六〇七石余・公郷下村三五五石余。「東作誌」では同高で、上村の本田畑高五六一石余・新田畑高四二石余・新開田畑高五石余、家数九八・人数三一二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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