八木山村(読み)やきやまむら

日本歴史地名大系 「八木山村」の解説

八木山村
やきやまむら

[現在地名]飯塚市八木山

現飯塚市の西端、龍王りゆうおう山北麓の高地に位置し、東は蓮台寺れんだいじ村・大日寺だいにちじ村・明星寺みようじようじ村。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状に「小中付焼山」とみえる。小中おなか庄は現篠栗ささぐり町に比定される。天正一三年(一五八五)と推定される九月一日の戸次道雪・立花統虎連署状(太田文書/大日本史料一一―二〇)によれば、立花氏家臣安東紀伊入道が「穂波郡之内焼山三町」を宛行われている。年未詳四月二五日の小早川隆景条々(千葉文書)に「穂波八木山舟板之事」とあり、「此郡さいはん(裁判)の内百姓」らに舟板の伐採と津出しが賦課されている。小早川時代の指出前之帳では穂波ほなみ郡八木山村の田二八町七反余(分米三七〇石余)・畠五町八反余(分大豆三四石余)

八木山村
やきやまむら

[現在地名]備前市八木山

山陽道沿いの村で、南西伊里中いりなか村、北東三石みついし村に通じる。街村を形成し、西部一里塚があった(備前記)。康永元年(一三四二)の「備前一宮社法」に「八木山」が載り、毎年吉備津彦神社に鏑矢を納めている。また応永二四年(一四一七)八月二五日付熊野参詣者交名願文(和鋼記念館所蔵文書)新田にうた新庄檀那の肩書に「焼山」とあるのは当地か。

慶長一七年(一六一二)の仏師左衛門太郎抱田畠についての中村主殿助下札(八木文書)に所在地として「八木山村」がみえ、同一八年和気郡御勘定帳によれば物成三九石余、無役。

八木山村
やきやまむら

[現在地名]大沢野町八木山

大沢野中位段丘中央東寄りに位置し、北は上大久保かみおおくぼ村、南は高内たかうち村、西は長附ながつき村。地名は大昔大若子命が北陸鎮定の際、舟倉ふなくら山に陣取った大天狗の焼打ちに遭って危うく難を逃れたが、山は焼け尽したため焼山といわれたという(立山千夜一夜)。加賀藩領から万治三年(一六六〇)以降富山藩領。正保郷帳では高一三九石余、田方七町余・畑方二町三反。享保六年(一七二一)の村付高改帳(島倉家文書)では高一六九石。寛政二年(一七九〇)の高物成品々手鏡では古高一六八石余・定免三ツ五歩五厘、新田高一石五斗・免五歩、定小物成として塩野役銀四七匁余があり、銀納林は六千一七四歩。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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