八幡河原(読み)やわたがわら

日本歴史地名大系 「八幡河原」の解説

八幡河原
やわたがわら

筑後川中流域の河原。上三郡絵図では大窪おおくぼ村・東大窪村北側に筑後川の中洲として描かれ、八幡川原図(農政農民史料集)では大窪村の川岸に広がる。幕末の筑後川絵図(木村家蔵)は北岸の鳥飼とりかい(現大刀洗町)に接して「凡三百ケン」とある。正徳二年(一七一二)からの床島とこしま堰築造の際は八幡河原から床島堰所まで人夫三千五〇〇人が立並び、栗石を運び工事を行ったという(「新畑田願上諸覚帳」床島堰渠志料)。享保一七年(一七三二)四月から惣郡役により真中掘割工事が行われ、新堀しんほり(長さ二八七間、幅平均一一間)が築かれたが、閏五月の洪水で埋没した(「年代記」本庄家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報