光珍寺(読み)こうちんじ

日本歴史地名大系 「光珍寺」の解説

光珍寺
こうちんじ

[現在地名]岡山市磨屋町

江戸時代の磨屋とぎや町の北部にある。天台宗、柴岡山と号し、本尊阿弥陀如来。「備陽国誌」によると本寺は金山かなやま寺であった。天平勝宝年中(七四九―七五七)報恩大師創建と伝える。古くは城内柴津岡山の地に所在して金光氏の菩提寺であったが、天正年中(一五七三―九二)宇喜多直家が築城の際森下もりした町の地に移転。直家(露月光珍)位牌があることから光珍寺と改号した。慶長年間(一五九六―一六一五)現在地に移して岡山寺と改号(備陽国誌)。文禄四年(一五九五)の備前国四拾八ヶ寺領并分国中大社領目録写(金山寺文書)に岡山寺として寺中の光珍寺三〇石・円明院二〇石・月窓寺二〇石・観音堂三〇石・清鏡せいきよう寺二〇石・宗(惣)福寺二〇石、計一四〇石が載る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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