光岡村(読み)みつおかむら

日本歴史地名大系 「光岡村」の解説

光岡村
みつおかむら

[現在地名]宗像市光岡・原町はるまち

つり川支流朝町あさまち川と高瀬たかせ川の中流域、まがり村の南西に位置する。古くはみね村といったと伝える(続風土記拾遺)。建武元年(一三三四)三月二〇日の宗像社宛の雑訴決断所牒(宗像大社所蔵文書/南北朝遺文(九州編)一)によると、元弘三年(一三三三)九月一七日の後醍醐天皇綸旨で「光岡」などが織幡おりはた宮・許斐このみ権現孔大寺こだいじ権現の長日御供以下の料所として安堵されていたが、建武元年改めて安堵されている。正平二十三年宗像宮年中行事(同文書/神道大系神社編四九宗像)には光岡若宮社の神事が記録されている。大永二年(一五二二)四月二八日、宗像正氏は温科弥四郎に当村嶺給内三町と屋敷一所を預け置いている(「宗像正氏預ケ状」竹井文書/福岡県史資料五)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android