佐護(読み)さご

日本歴史地名大系 「佐護」の解説

佐護
さご

中世にみえる対馬地名。「和名抄」に記される上県郡佐護郷の郷名を継承する佐護郡の主邑。安貞二年(一二二八)九月一一日の源某裁許状(鳥居勝義氏所蔵文書)に「佐護院」とみえ、院内の塩田四段を光貞が嘉禄元年(一二二五)に領主永真から買得したが、真延が永真の子息真忠より譲られたと主張して濫妨したため光貞が提訴父母の所領は子息の譲与状のみでは祖父・父母の契状を破棄しがたいなどの理由で、光貞が勝訴している。建武三年(一三三六)二月九日の某所領注文写(島居文書)に「つやとの さこのこのかうミ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報