山谷(読み)さんこく

精選版 日本国語大辞典 「山谷」の意味・読み・例文・類語

さん‐こく【山谷】

[1] 〘名〙
① 山と谷。また、山間にある谷。
※新撰万葉(893‐913)上「山谷幽閑秋霧深。朝陽不見幾千尋」 〔史記‐魏世家〕
② (黄山谷黄庭堅(こうていけん))が愛したというところから) 植物らん(蘭)」の異名
[2] 中国、宋代の詩人書家の黄庭堅の号。また、その著作である「山谷集」をいう。〔易林本節用集(1597)〕

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デジタル大辞泉 「山谷」の意味・読み・例文・類語

さんや【山谷/三谷/三野】

東京都台東区北東部にあった地名。現在の清川日本堤・東浅草付近。
日本橋にあった元吉原が焼失して、新吉原ができるまで遊郭が置かれたところから》吉原の遊郭をさす。→吉原

さん‐こく【山谷】

山と谷。また、山中の谷。

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普及版 字通 「山谷」の読み・字形・画数・意味

【山谷】さんこく

谷。山谿。〔史記、韓王信伝〕今僕、山谷のし、旦に蠻夷に乞貸(きつたい)す。僕の歸らんことを思ふこと、痿人(ゐじん)(足なえ)のつことをれず、ることをれざるが如し。勢ひ、不可なるのみ。

字通「山」の項目を見る

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日本歴史地名大系 「山谷」の解説

山谷
さんや

第二次世界大戦後、急激に拡大した清川きよかわ日本堤にほんづつみ一帯に広がる日雇労働者の集まる地域。第二次世界大戦前からすでに多くの「木賃宿」が密集しており、産業・土木・軍需などに応ずる日雇労働者の一大供給地域であった。昭和二一年(一九四六)末からは当時「浮浪者」などとよばれた戦争の被害者が上野地下道などからしばしば強制的に収容され、これを契機にさらに同二四年頃から簡易旅館とベッド・ハウスの建設が始まって、日雇労働者が集まる「ドヤ街」が急激に拡大。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山谷」の意味・わかりやすい解説

山谷
さんや

東京都台東区(たいとう)北東部の旧地名。三谷とも書き、現在の東浅草2丁目、日本堤(にほんづつみ)1~2丁目、清川1~2丁目の地区にあたる。旧奥州街道沿いの地域で、道路が3条あって三野といった。また古く民家が3軒あったことなどが地名の由来という。一帯は隅田(すみだ)川右岸の低湿地で、三ノ輪(みのわ)付近から流れる音無(おとなし)川は山谷堀となって隅田川に注ぐ。山谷堀を猪牙(ちょき)舟でこいで吉原へ遊びに行くのが江戸町民の楽しみであった。山谷堀の下流に待乳山聖天(まつちやましょうでん)がある。玉姫稲荷神社(たまひめいなりじんじゃ)のあたりは多くの簡易旅館(木賃(きちん)宿)ができ、ドヤ街として知られてきた。その北方、山谷の北端が泪(なみだ)橋で、小塚原(こづかっぱら)に送られる罪人と縁者との涙の別れ場所であった。現在、この地区は製革業者などの多い商工住の混合地域である。

[沢田 清]

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百科事典マイペディア 「山谷」の意味・わかりやすい解説

山谷【さんや】

東京都台東区,清川・日本堤・東浅草各町にまたがる地区。江戸時代は奥州街道沿いの木賃宿密集地であった。第2次大戦後日雇労働者が集中,東日本最大の簡易旅館街となっている。
→関連項目浅草

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山谷」の意味・わかりやすい解説

山谷
さんや

東京都台東区北東部の旧町名。現在の清川,東浅草,日本堤の各一部にあたる。古くから山谷または三谷の字を用い,江戸時代以後は山谷村と称した。堀の南には明暦の大火後に日本橋吉原から移った新吉原があって,山谷堀は舟運でにぎわった。現在は簡易旅館が集中している。

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