佐位郡(読み)さいぐん

日本歴史地名大系 「佐位郡」の解説

佐位郡
さいぐん

和名抄」東急本には「佐伊郡」、「拾介抄」には「佐井」と記す。「和名抄」高山寺本は下野国に載せる。東は新田につた郡、南は武蔵国、西は那波なは郡、北西から北に勢多せた郡と接する。現伊勢崎市の広瀬ひろせ川以東、佐波さわさかい町・赤堀あかぼり町・あずま村にわたる地を郡域とした。境町伊与久の十三宝塚いよくのじゆうさんぽうづか遺跡郡衙の地と推定されている。正倉院の調庸綾布墨書銘に天平感宝元年(七四九)八月で「上野国佐位郡佐位郷戸主前部黒麻呂庸布壱段」とある。神護景雲元年(七六七)三月、当郡の外従五位上檜前君老刀自が上毛野佐位朝臣を賜り、同二年六月に佐位采女外従五位下上野佐位朝臣老刀自は上野国の国造となっている(続日本紀)。現滋賀県石山いしやま寺蔵の大智論経巻三四の奥書によると、天長七年(八三〇)三月一六日に「佐位郡教澄持経」を書写している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報