朝日日本歴史人物事典 「佐久間左馬太」の解説
佐久間左馬太
生年:弘化1.10.10(1844.11.19)
明治期の陸軍軍人。萩(長州)藩士岡村孫七の次男。佐久間竹之丞の養子。奇兵隊から身を起こし,大村益次郎に西洋兵術を学ぶ。慶応2(1866)年第2回長州征討の際,長州軍の大隊長を務めた。明治5(1872)年陸軍大尉に任ぜられ,7年の台湾出兵に加わる。日清戦争では仙台の第2師団長を務め威海衛を攻略。遼東半島の占領地総督などを経て31年大将に進んだ。37年東京衛戍総督。39年から大正4(1915)年まで台湾総督の地位にあり,現地住民の抵抗を抑えて,交通,通信,教育機関などの整備を推し進めた。少将時代は一升酒を飲み,明治天皇から「一升少将と呼ぼう」といわれ,「陛下畏れ入りますが一生(一升)少将では困ります,せめて中将位までは…」と答えたという。40年に伯爵。<参考文献>松下芳男『日本軍閥の興亡』,台湾救済団編『佐久間左馬太』
(影山好一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報