住吉社(読み)すみよししや

日本歴史地名大系 「住吉社」の解説

住吉社
すみよししや

[現在地名]大分市住吉二丁目

住吉川左岸の字仙石橋せんごくばし鎮座祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后。旧村社。戦国時代府中絵図(大分市史)では勢家せいけ春日社の東方、河口近くに描かれる一之宮にあたるという(二巻本「大分市史」)。当社には二座の住吉神が祀られていた。一座沖浜おきのはまに鎮座していたが天正一四年(一五八六)の島津軍の豊後侵入で荒廃し、慶長年間(一五九六―一六一五)西応さいおう寺境内に移したもので、一座は寛永二年(一六二五)藩主日根野吉明が摂津国住吉神の分霊を勧請して同寺境内に祀ったといわれる。延宝五年(一六七七)城下さくら町の粗物仲間四人が渡海安全を祈願して現在地に遷座した。

住吉社
すみよししや

[現在地名]熱田区新尾頭

祭神表筒男命・中筒男命・底筒男命。旧村社。町の中央西部、妙安みようあん寺の北、ほり川に接して崖上に鎮座する。今は南から入るが、江戸時代には街道(東側)から入った。摂津の住吉社を勧請したものであるが、その勧請年代については、慶長年中(一五九六―一六一五)・享保九年(一七二四)・宝暦年中(一七五一―六四)などの説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報